《エンブレム》J専用寮、通称『楓寮』は真ん中に吹き抜けを持つ2階建ての建物だ。1階は食堂、ロビー、図書室、大浴場など共用施設があり、2階は1つのフロアーに4室あり、住居スペースとなっている。
現在の住人は2階北に《クローバー》J・アザロア=スウォン、南に《スペード》J・キリー=ヴェルビュー、西に《ハート》J・クリシュ=レビカントが住んでいる。
クリシュの趣味はお風呂に入る事だ。様々な入浴剤やアロマオイルを使って、少し温めのお湯にじっくり浸かるのが好きなのだ。今日も今日とて、大浴場を悠々と一人占めして楽しんでいた。
《ダイヤ》Aのヘレニス=ラークスパーは他のAが皆3年である事から、纏め役を自然と引き受ける事になった。そして、《エンブレム》所持者は、どうしても一般の生徒と馴染めない事が多く、だいたい《エンブレム》同士で親交を深める事になる。目下、そのせいで毎日頭を悩ませていた。
「ルーエくん、ボクの力作の衣装、是非着てみて欲しいねんけど〜」
「アルソー!ルーエはそんな服着ねぇっつってんの!」
「シオンには訊いてない。どうかな?めっちゃよう似合うと思うねんけど…」
「…え、ええ。まぁ、似合いはすると思うのですが…これ、女子用でしょ?」
ルーエは引きつりそうになりながら笑顔を絶やさない。
「そんな些細な事気にしたらアカン。重要なんは似合うかどうかやで?」
「…ええと…」
「お前、いい加減にしねぇと殺るぞ!」
困惑気味のルーエにキレ気味のシオン。
「アルソー!下級生に絡むのはそのくらいにしたらどうだ?」
「ヘレニスさん…」
「「ヘレニス先輩!」」
後輩の期待に満ちた目に、痛む頭と胃を抱えながらも仲裁に入る。
「アルソー、君はどうしてそんな困らせるような事ばかり言うんだ?」
「でもヘレニスさん!この衣装、絶対ルーエくんに似合うと思うんです!先輩だってそう思うやろ?」
アルソーが衣装を見せる。それは薄紫色のフード付きワンピースだった。ひらひらとした白いレースが随所にあしらわれ、裾は短く、ボリュームを持たせるためのパニエ付き。大人気の絵本『おしゃまな魔女姫・リリィ』に出てくる『アイリス』が着ている衣装にそっくりなのだが、残念ながらそれを知る人物はここにはアルソー以外に居なかった。
「…確かに。いや、だが本人は嫌がっているのに押し付けるような事はいけない」
「ルーエくんは自分でも似合う事解ってるねんで?だったら着てくれるっちゅう事とちゃいます?ね〜」
アルソーはルーエに抱き付いた。瞬間シオンの回し蹴りが決まった。抱きかかえるようにしてルーエを奪い返す。
「ルーエに触るんじゃねぇよ、変態エクソシスト!」
すると、茂みから《スペード》Qのリィエンが現れた。
「素敵!そのまま二人はお互いの気持ちに気が付き、そして…」
何やら手にした紙の束にペンを走らせていく。
「これで次の新刊は決まりね!」
「…リィエン?!」
「姉ちゃん…」
アルソーはその姿を見てようやく落ち着く。
「ヘレニス先輩、ウチの事はお構いなく。どうぞ、マリウス先生の所に行って下さい」
「…何故、そこでマリウス先輩の名前が出るんだ?」
「――いややわぁ、ウチ。つい先輩の前で自分の願望口走ってもうた」
「マリ×ヘレやっけ?」
「違うわ!ヘレ×マリや!」
レーヴ姉弟が口論を始める。ヘレニスはますます胃が痛み始めた。
「あ、そうや。ボク、もう一着衣装作ってるんやけど、せっかくやから先輩に見せよかな」
「はっ?」
「そっちの方は『リリィ』の衣装やねんけど、先輩の彼女――リーゼたんにプレゼントしようと思って♪」
ヘレニスはハッとした。婚約者のリーゼに最近、変な手紙やプレゼントが届くようになったのだ。
「犯人はお前だったのか!」
「いややわぁ、犯人なんて…人聞きの悪い事言わんといてくださいよ。そういうのはストーカー言うんです」
「――――――*●☆△×※」
ヘレニスは俯いて震えながら何かぶつぶつと呟いていた。
「どないしたんです?先輩?」
「弾き飛ばせ!《星々流転》」
それは、高度な空間転移の魔法だった。
「ちょっ…!うわぁぁぁぁぁぁっ!」
グンと一度空中に引き上げられ、ものすごいスピードで弾かれたと思ったら、空間に歪みが生じてその中に引き込まれる。
「先輩…出口の設定、どこにしはったんですか?」
リィエンが訊く。
「さぁ…どこかな?僕にも分からないよ」
にっこりとヘレニスは爽やかな笑顔を零した。
「掃除がお上手な事…」
リィエンもにっこりと笑う。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
――バシャン!
アルソーは突然、水の中に出た。いや、水というよりはお湯だった。飛び出した先は室内、床は大理石だろうか?視界に白い素肌が映る。
「きゃぁぁぁっ!」
「すんません!」
流石にクルッと反転した。背中越しに突き刺さる視線が痛い。
「…アルソー殿?」
その声は聞き覚えがあった。
「えっと…その声は――クリシュちゃん?」
「何故、このような所に?」
「…ちょっと、ヘレニス先輩怒らせてもうて…」
「そうですか…ところで、その装束は――」
クリシュはアルソーの手にしていた衣装を目に留めた。
「『おしゃまな魔女姫・リリィ』の『アイリス』の衣装やねん」
「知っています。幼い頃に読んだ記憶があります」
「あ、でもあかんで?これはルーエくんのサイズで作ってんねん。クリシュちゃんの身長には対応しきれへん!」
「――……」
一瞬、沈黙が流れる。耐えきれず、思わず向き直ってしまうアルソー。
「出てお行きなさい!この不埒者め!」
手桶を力一杯投げつけられる。かなり怒りが込められていそうだ。
「すまん!堪忍!痛っ、ちょお石鹸投げんといて!出て行くから!赦して〜や〜!」
ガラガラ、ピシャッ。アルソーが逃げ出した。
「――はぁ、はぁ…」
クリシュは手にアロマオイルの瓶を手にしていた。これを投げつけられる前に退散できてアルソーは助かったに違いない。
『これはルーエくんサイズに作ってんねん。クリシュちゃんの身長には対応しきれへん!』
アルソーの言葉を思い出し、クリシュは腹を立てた。
(どうせ…わたくしの背は高いですわよ。わたくしだって、小さく華奢に生まれたかったと思いますもの…)
クリシュは顔の半分まで湯に浸かって目を閉じた。
(可愛くない…)
自分にダメ出しをする。アロマオイルも入浴剤も、些細な言葉の棘を癒してくれない。乙女心はいつだってガラスのように繊細で脆いのだ。
それから2週間後――突然、アルソーはクリシュの前に現れた。
「どうかなさったのですか?」
「あんな、考えてんけど――クリシュちゃんには『美少女戦士ホーリー・ムーン』の『ヴェロニカ』の衣装の方が似合うと思って…」
目の前に差し出された衣装は露出が激しいビスチェとレオタードにミニスカートを組み合わせたようなものだった。
「――っ!」
「決め台詞は『森に代わって成敗よ!』やで」
「――この…無礼者め!今後一切わたくしに話し掛けるな!去ね!」
衣装を投げつけて返されてアルソーはショックを受けた。
「――何で?」
BY氷高颯矢
これはアルソーが4年、シオン、ルーエ、クリシュが3年の時の話です。
ちなみに『おしゃまな魔女姫・リリィ』や『美少女戦士ホーリー・ムーン』は皆さんの想像する作品がモデルになっております。
レーヴ姉弟は姉・リィエンがもっぱら怪しげな薄い本を作り、弟・アルソーは衣装を作っています。
学内の一部のマニア達からは『神』のごとく崇められていますが、他の《エンブレム》からは迷惑でしかありません。
ベルが入学するまでターゲットはルーエだったみたいですね…。
うっかりしてたけど、100題から「ヒステリー」です。